イングリッシュ・ナウ校長が、考える事、思う事

“一体となる”とは?

2016年10月23日 Posted by Makoto Iimura

まずこれは、相手(子供達)に求めるところは何ひとつない話であるということ。こちら側・自分のみをテーマとする話であるということ。相手(子供達という“ 縁”)に接した時に、自分の目、耳(=生命力)が、もう既に反応し、一体となっているという事実があるということ。相手をコントロールしようとしたり、相手にこうやらせようとの、こちらからの一方的押し付けの気持ち・感情が起きる前の話であるといること。子供の声に、顔の表情に、手足の、その小さな動きに、自分の “理屈” が入らず、そのままに瞬時に反応出来ているかを問題にしていること。自分の “ 声・顔・動き”(= 生命力)をもって、この自分の “ 理屈” 以前の、俊敏な動き・反応を大切にしようという話であること。

“ 感覚” でいうと、“ 自分は” “ 私は”という自分を主張しようとする意識が非常に薄~い感覚。“ 自分” はなくなり、相手はそのまま100%残っているという感覚。自分が、“ 相手” 一色になっている感覚。そして、その相手100%、相手一色に、そしてその相手の変化に、自分の “ 声・顔・動き” が自分の理屈が入る隙間もなく、次から次へと俊敏に反応している、ただ反応し続けているという感覚。こんな感覚を、“ 一体となるとは?” を考えるヒントとしたいと思っています。

そして、この “ 一体となるとは” をヒント(“ 基 ”)にしながら、子供達と一体となりながら、子供達の生命力に常に働きかけながら、子供達の能力を無限大に引き出せる力を “ Now力”と呼び、それが出きる人を “Now力” の人と呼んでいます。

出発点! ― 先生の「声」と「顔」と「動き」

2016年09月25日 Posted by Makoto Iimura

先生の「声」「顔」「動き」が、子供たちのやる気・意欲を作ってる:

子供達は、環境の中の全てのものを(“よい”も“わるい”も)、全身で、全霊で吸収しながら、マネをしながら、学び・身につけていく。先生達の「声」「顔」「動き」も環境のひとつ。子供たちのマネの対象。そして、“お手本”。子供たちは、先生の「声」「顔」「動き」をマネて学んでいく。先生の「声」「顔」「動き」が生き生き元気であれば、子ども達は自然と生き生き元気になる。やる気になる、意欲的になる。先生の「声」「顔」「動き」はこんな風であって欲しい。

先生の「声」「顔」「動き」が、子ども達との“一体感”を生む:

先生の「声」「顔」「動き」が、子ども達の、あらゆる種類の、あらゆるレベル・サイズの「声」「顔」「動き」(=“縁”)に触れ、その変化に、“ 瞬時に” “俊敏に” “瞬発的に”、“同時と言っていいくらいの速さで”反応する。先生の、子ども達への、この“瞬発的な”「声」「顔」「動き」での反応が、“ 子供とのつながり”のきっかけを作る。そしてこれが、楽しい一体感を生む。

こういうことが、無意識のうちに、もう既にそういう「声」「顔」「動き」が出来ている先生は、それはそれは立派な “Now力”の持ち主だと思うのです。

きちんとできたね!

2016年08月22日 Posted by Makoto Iimura

どうしてきちんとできないの!” “どうしてしっかりできないの! ” と、いつも、あんなに叱られてばかりいた子が、一変した。“ きちん” と出来ている。“ しっかり” と出来ている。今日はな~んにも言われなかったのに…。我ながら、感激、感動した。“ な~んだ、やればできるじゃないか” “ すごい!” と。

何だろう、この “一変” は?と思った時、“ 環境だ!” と思った。“ 今日は、環境が違ってる!” と。その子は、この違いを感じとり、“しっかり” と“きちん” とになったんだ、と。確かにその子は、その日、今までとは異なった場所にいた。雰囲気、環境が違った…。“ しっかり” と“ きちんと” につながる雰囲気のある場所にいた。

 “きちんとやりなさい” と毎日言われても、きちんとできる環境・状況・雰囲気・etc. がなければ出来るわけがない。その子が悪いんではないんだ。“できない” を、その子のせいにしてはならないんだ(こどもは、“環境” を感じ取り、そのままを表現しているのみ)。

 『環境』…。子供たちが、何かを学び身につける時、何よりもまず、その子自らが“ やろう!” “ やってみたい!” と感じることの出来る環境があることの必要性を痛切に感じる(先生達が、その環境の中心存在)。“ ~しなさい!” との音だけを、一方的に発する前に、子供自らが、そうしたくなる環境作り。“ 教えよう!” と力む前に、“ 子ども達自らが学びたくなる環境づくり” ― その環境は誰が作るのか? ここを徹底していきたい!(“ わたしたち、こどもたちは、おとなのひとたちがつくってくれる、かんきょうしだいなんですよ” を強く再認識させてもらった瞬間でした。ありがとうございました!)

 

“進級” とは?

2016年07月25日 Posted by Makoto Iimura

“進級”の意味を、もっと明確に理解し、その言葉をしっかりとした信念を持って使ってもらいたい。それは、ただ単に、学年や年齢が上がること、イコールそのままが、級が進んだ、進級したということではないということ。あまりにも当然なことだが、その子の能力が伸びた時、“級が進んだ”“進級した” という。

 ですから、進級する生徒の対策を立てようというときは、学年が上がる時にのみ(園児から小学生になる時にのみ)やるのでなく、その対策は、その子の能力が伸びた時に、その時に、その段階で、速やかに、随時に行われなければならない。その受け皿としての指導体制も、それを可能にするものになっていなければならない。

 この “進級” ということを考えるつけ、午後の指導活動時間帯(園児コースと小学生コースの時間帯)の指導内容が、互いに関連していること、連続・連動していることの必要性を強く感じるわけです。その子の能力の伸びに合わせて、随時、適時に、自由に“進級” が可能な指導内容、指導体制になっていることの必要性。それが、無理のない自然な形で流れるようになっていることの必要性を思うのです。

 少なくても、私たちは、「学年」や「年齢」で指導をしているのではない、ということ。能力の伸びに合わせた指導をしなければならないということを忘れてはならないと思うのです。

Learning Center

2016年06月22日 Posted by Makoto Iimura

Learning Center は、子どもの気持ちになって(なりきって)、そこから始める。子供たちの純粋に知りたい、やってみたいの気持ちで始める。子供たちの “ なぜなんだろう” “ どうしてなんだろう”、この純粋な好奇心に寄り添って、一体になってやっていく。“ 教えよう” はあまり要らない。カチカチ頭で、物知り風の頭で、ただ一方的に教えようとしない。子供たちと一緒に“ なんでなんだろう” “ どうしてなんなんだろう” と、そのままで取り組む。発見し、驚いて、感動する。そして、自分自身も、発見し、驚いて、感動する。これを子供たちと一緒に表現していきたい(英語で… )。自分自身が(子供達と一緒になって)子供のように “ 純粋” になれる時間。これが私がやりたいLearning Center。

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