イングリッシュ・ナウ校長が、考える事、思う事

私は、いつでも栃木弁が話せるようになっている

2009年07月20日 Posted by Makoto Iimura

私が栃木弁を話せるのは(私は、生まれも育ちも栃木弁の“本場”、栃木県真岡市なのですが)、私の話し相手が栃木弁で話すから、です。相手が栃木弁でなければ、栃木弁は出てこない。栃木弁で話そうとしても、その“完璧に”話せるはずの栃木弁がなかなか出てこない。

私は、普段栃木弁を話さないが(知人曰く、私の訛はいまでもとれていということだが…)、必要になればいつでも話せるようになっている。いつでもスタンバイが出来ている。

ここが大事。「日本人の英語」もこうであって欲しい。つまり、普段は話さないが(必要がないのだから話さないのは当たり前)、必要な時にいつでも話せるようになっている。

だから早い時期から始め、この早い時期に、相当高い英語力(日本語レベルの英語力)を身につけさせておいてあげることが肝要となる。後は、(普段は英語を話さないが)必要に応じて(英語の必要性が出てきたら)本人自らがその能力を直ぐ使えるようになっていればよい。話す力の基礎工事は6歳までに完了。読み・書きの基礎工事は小学生のうちに完了。これを達成したい。

「~たい」の環境(ことばの出発点)

2009年07月12日 Posted by Makoto Iimura

「それをしてみたい」「それを言ってみたい」「それを食べてみたい、飲んでみたい」「そこへ行ってみたい」、云々。この「~たい」の気持ちを言葉にしていく。それが“言葉”の大本(出発点かなー)と思う。他の人に伝えたくて、言いたくて…、の気持ちが、まずあっての言葉だと思う。

表現が、発音が少々下手でもいい、じょうずでなくてもいい、声が小さくてもいい、かっこよくなくてもいい…。

“他人(ひと)に伝えたい”
その気持ちがあって「言葉」になる。表現したくなる(別に言葉でなくてもいいのだが…)。

「~たい」がないのに、無理やりの言葉じゃ、それは言葉じゃない。音になっても、文字になっても、それは、少なくても余り魅力的じゃない。魅力的には響かない。

下手でもいい。きれいじゃなくてもいい。なまっていてもいい。何か変でもいい…。この「~たい」の気持ちが本物なら、その言葉は本物だ。

「~たい」がないのにやるから、つまらない「勉強」になってしまうんだ。

「~たい」に基づく指導を実践していきたい。それも、ギリギリまで待たせた「たい」。募らせた「~たい」の指導法がいい。すぐに手に入らない「~たい」の方が、それが手に入った時の言葉に「喜び」や「命」を感じる。

興味というのは、出来そうだという“予感”から湧き出るもの

2009年07月05日 Posted by Makoto Iimura

ボクにも、ワタシにも出来そう!と思うから、それをやってみようかなー、やってみたいなー、と興味がわく。最初から、全然出来ない、不可能と思ったら、それをやってみたいという興味はわかない。子どもたちの「学び」はこの「関心」が出発点。だから最初は、いつも簡単でやさしいことから始めるということだ。やさしくて、やさしくて、やさしすぎるよ、と感じる位から始めるということ。「真理」だな~。ことの最初はいつもここから始まる。

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