イングリッシュ・ナウ校長が、考える事、思う事

出来ることをやらせて「能力」を育てる

2009年08月16日 Posted by Makoto Iimura

「出来れば好きになり、出来なければ嫌いになる」ということを、私たち指導する者は常に心得ていなければならない。出来ることばかりをやらせ、子供たちの「出来る」レベルを、最初の段階(「やっと出来る」)から、第2段階(「自由に出来る」)へ、更に第3段階(「お見事・立派に出来る」)へ上げていく。出来るレベルを上げていくことで「能力」を育てていく。「能力」が育っていく。ここを見逃してはならない。(問題は、この3段階指導法を、実際の指導法の中で、どう具体的に表現していくか、だ。)

何をさておいても、大量のインプット

2009年08月06日 Posted by Makoto Iimura

教え方の技術論ではない。最終的に大事なのは、理屈抜きの大量のインプットだろう。英語が“溢れんばかりに”インプットされれば、その時子供達は、自然に話し出す。

Mommy& Me、Preschoolからの大量のインプット。アウトプットを余り期待しない、この年代からの大量のインプット。「言語習得段階別指導法」5段階の最初の段階(Watch & Listen – Level)。結果を求めない、反応を求めない、理解を求めない、話すことを求めない、etc.環境作り。お母さんとお子さん(赤ちゃんが)一緒に楽しめる英語空間。お子さんだけでない、お母さんも楽しめる英語遊び。基本的にお母さんが楽しめなくちゃダメってこと。

「お母さんが“楽しい!”と思える、英語との付き合い方」をもっと工夫し、伝えていきたい。お母さんたちが変わらなければ、子供達は変わらない。お母さんたちが“本気で”変われば、子供達も“本気で”変わる。私は、そう信じている。

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頭の奥深く刻み込まれてこそ、“モノ”になる

2009年07月26日 Posted by Makoto Iimura

そのためにも、「練習」「訓練」がどうしても必要。何もしなければ(何の刺激もなければ)、何も頭に刻み込まれない。ましてや深く刻まれるということは起こり得ない。

無理矢理でない、イヤイヤでない、強制スタイルでない、子供たち自らが、意欲的・積極的に行う「練習」「訓練」が必要。

その言葉に“気楽に”「毎日出会う」だけという「環境」が必要。
本人が知らないうちに、「練習」「訓練」をしてしまっているという毎日の「環境」が大事。

教室と家庭、先生と親御さんとの太いパイプが絶対の、不可欠な条件。教室での刺激と家庭での刺激が、何らかの形で毎日が関連し、連続していなければならない、ということ。お家でも同じような刺激が与えられていなければならない、ということ。

これが実際に行われていなければならない。“頭の奥深く刻み込む”のなら。

私は、いつでも栃木弁が話せるようになっている

2009年07月20日 Posted by Makoto Iimura

私が栃木弁を話せるのは(私は、生まれも育ちも栃木弁の“本場”、栃木県真岡市なのですが)、私の話し相手が栃木弁で話すから、です。相手が栃木弁でなければ、栃木弁は出てこない。栃木弁で話そうとしても、その“完璧に”話せるはずの栃木弁がなかなか出てこない。

私は、普段栃木弁を話さないが(知人曰く、私の訛はいまでもとれていということだが…)、必要になればいつでも話せるようになっている。いつでもスタンバイが出来ている。

ここが大事。「日本人の英語」もこうであって欲しい。つまり、普段は話さないが(必要がないのだから話さないのは当たり前)、必要な時にいつでも話せるようになっている。

だから早い時期から始め、この早い時期に、相当高い英語力(日本語レベルの英語力)を身につけさせておいてあげることが肝要となる。後は、(普段は英語を話さないが)必要に応じて(英語の必要性が出てきたら)本人自らがその能力を直ぐ使えるようになっていればよい。話す力の基礎工事は6歳までに完了。読み・書きの基礎工事は小学生のうちに完了。これを達成したい。

「~たい」の環境(ことばの出発点)

2009年07月12日 Posted by Makoto Iimura

「それをしてみたい」「それを言ってみたい」「それを食べてみたい、飲んでみたい」「そこへ行ってみたい」、云々。この「~たい」の気持ちを言葉にしていく。それが“言葉”の大本(出発点かなー)と思う。他の人に伝えたくて、言いたくて…、の気持ちが、まずあっての言葉だと思う。

表現が、発音が少々下手でもいい、じょうずでなくてもいい、声が小さくてもいい、かっこよくなくてもいい…。

“他人(ひと)に伝えたい”
その気持ちがあって「言葉」になる。表現したくなる(別に言葉でなくてもいいのだが…)。

「~たい」がないのに、無理やりの言葉じゃ、それは言葉じゃない。音になっても、文字になっても、それは、少なくても余り魅力的じゃない。魅力的には響かない。

下手でもいい。きれいじゃなくてもいい。なまっていてもいい。何か変でもいい…。この「~たい」の気持ちが本物なら、その言葉は本物だ。

「~たい」がないのにやるから、つまらない「勉強」になってしまうんだ。

「~たい」に基づく指導を実践していきたい。それも、ギリギリまで待たせた「たい」。募らせた「~たい」の指導法がいい。すぐに手に入らない「~たい」の方が、それが手に入った時の言葉に「喜び」や「命」を感じる。

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