イングリッシュ・ナウ校長が、考える事、思う事

“人間”って分かるんだ!

2011年04月17日 Posted by Makoto Iimura

休日の日。朝の時間に余裕があったので、ちょっと“ふざけて”(どんな反応をするのか)4か月程前に聴いていた最初のCDをかけてみた。CDの最初の部分は“ポンポンポンポンポ~ン”と同じなので、そこまではよかったのですが、昨日までほとんど毎日、1ヶ月以上聞いたstoryとは違うお話が流れてきたので、その瞬間、びっくりしたような表情をして、いきなり私の方(私は“グランパ”と呼ばれている)に顔を向け、それはそれは、今まで見せたことのないような真剣な顔つきで、(普段は最初から穏やかな、どちらかというと“さあー、はじまりますよ”って言う感じ、ワクワク感の表情をしているのですが)、私の顔を見続けていました。いつもと違うので、どうしていいかわからなかったのでしょう、きっと(或いは、“このおはなし、聞いたことがある!”って言いたかったのかもしれないが…)

Mr. Noisy’s Book of Patternsの最後の文章 ‘And when Mr. Noisy sleeps, he goes ……’のところ。いびきに合わせて、絵本を孫娘の顔に近づけ、最後は顔にくっつく位にすると、両手を出し、本の両脇をつかみ、本を持って両腕をピンと伸ばし、絵本を顔の上に固定させ、あたかも寝ながら本でも読んでいるような“一人前”の格好をする(実際にページの端から端まで見まわしている)。1分くらい続けているので、もう疲れてしまうからと思い、取り上げてあげた。

人間と、人間以外の違いが分かるのか、人間が登場すると大喜びする。人間が登場するページの前あたりから笑うスタンバイしているかのようで、人間が登場すると音(英語)をジーット聞いて、聞き終わるとニターっとする。

単語カードを見せるべきか迷っている(実験台になってくれるかな?)

孫娘へのプレゼント

2011年04月11日 Posted by Makoto Iimura

私には生後6カ月になったばかり孫娘がいます。“オジイちゃん”として何かできることを、と考えまして、絵本の“CD聞かせ”を毎朝することにしています(忙しい時には出来ないのですが)。生後3カ月目あたりから始めましたから、もう4カ月位になりますか。“CD聞かせ”ですから、只CDをかけて絵本のページをめくって見せるだけという単純作業です。現在Level-1の3枚目のCD (’What Comes in Threes?’始まるMath SeriesのCD)を、CDを止めないで6つのstory全部を聞かせています。最初は神妙な顔をしながら絵に食い入るように見ているだけでしたが、最近は自分が好きなところに来ると、ニターと笑い、両手両足を全部、それもみんなバラバラに思い切り動かして反応しています。リピートするところで私が声を出してリピートすると、最初の頃は不思議そうにわたしの口の動きを見ているだけだったのですが、最近は(リピートする個所ではないのですが)気分のいい時には(?)何やら“ウ~ウ~”“ア~ア~”と大きな声で言っています(本人はリピートをしているつもりなのかな~?)。最後にBrown Bear Brown Bearを読んであげるので、全部で30分程かかりますが、よく注意を切らさずに絵本に集中しているものだと感心しています。もう1~2週間したら次の4枚目の“CD聞かせ”を始めようと思っています。“オジイチャン・バカ”のはじまり、はじまり―っていうところでしょうかな…

大量のインプット

2011年02月20日 Posted by Makoto Iimura

英語が溢れんばかりにインプットされれば、その時子どもたちは、英語を自然に話し出す。教え方の技術論ではない。巨大なダムに大量の水が溜まるがごとく、頭の中に溢れんばかりの英語音が溜れば、誰でもが生まれながらにして持っている“言語自然処理機能”が働き、アウトプットを可能にする。

「子ども目線」

2011年01月10日 Posted by Makoto Iimura

 子どもたちとの「一体感」。

子供たちと気持ちがずれない、心がずれない、呼吸がずれない。そこに言葉が飛び交う。自分がその瞬間の「今」になっている。次のことを考えているのではなく、ほかのことを考えているのではなく、目の前の子どもの「今」と自分の「今」が一緒になっている。ずれがないことが大事。

 子供たちの“気持ちを見ながら”行動する。

子供たちを見ながら…とは、子供たちの外に現れる様子(姿、動き、etc.)ではなく、目に見えない、子供たち“気持ちの動き・変化”をみるということ。見逃さないということ。常に、子どもの“「今」の気持ち”を見ながら動くということ。

 その子の気持ちに自分の気持ちを集中させる、合せていく。

子どもを自分に合わさせるのでなく、自分を子どもに合わしていく。どこまでもしっかりとついていく。気がつくと、いつの間にか相手と自分の気持ちがひとつになっている。

 無理やりの“~させよう”とする作為がない。子どもたちの“~したい”の気持ちに従っていく。その“~たい”の気持ちの表現のお手伝いをする。

 先生たちは、暗記したフレーズ、決まったフレーズを、只言っているだけではいけない。子どもたちとの“気持ちのつながり”を抜きにして、只気持ちのない“セリフ”を言っているだけではいけない。その場その場の、子供たちとの生き生きとしたやり取りが大事。その生き生き加減を言葉にする。そういう言葉で、子どもたちと相対す。

 朝一番からハイテンションが「子供目線」の基礎を作る。思いっきり遊ぶこと。汗をたくさんかくこと。このことが一日のCondition作る。子供たちからエネルギーをもらいつつ、子供たちとエネルギー状態を合わせていく。そこに、子供たちと一心同体になっている自分がいる。一心同体になっていることにさえ気付かないでいる自分がいる。

誰も教えないのに(自ら身につける能力)

2010年11月29日 Posted by Makoto Iimura

 「眼」「耳」「鼻」「舌」「身」「意」

 誰も教えないのに、見える、聞こえる、匂う、味がする、体で感じる。

そして、誰も教えないのに、ちゃーンと話せるようになっている。

言葉で考えられるようになっている。

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